お肌のこと

2019年02月14日

そんなの、知らなかった!メイクの歴史(前半)【綺麗だより 2月】

平松(さくらコンシェルジュ)

皆さんこんにちは。

女性にとってメイクアップとは身だしなみ、自分に自信をつけるもの、化けるものなど多くの意味合いがあるかと思います。

今では、当たり前のメイクアップですが、いつからどのように始まったのでしょうか?

二回にわたりメイクの歴史についてお話していきたいと思います。

 

メイクのはじまり

メイクアップ(化粧)を私たち人間がいつ頃から始めたのかはっきりしたことは分かっていませんが、今から約7万年前の旧石器時代から口の部分に赤い化粧のあとが見られていたようです。

これが口紅の始まりではないかと言われています。

また、古代エジプトでは男性も女性も、顔や体にクリームを塗っていたようです。

ツタンカーメン王の墓より出土した化粧壺には、3,300年前のスキンクリームが残っていたと言われています。

古代におけるメイクは、おしゃれのためというよりは心身を清めて神仏に奉仕したり、香りをささげるといった宗教的な意味合いと、油(化粧膏)を塗って太陽から肌や目を守るという実用的な役割があったようです。

江戸時代

米ぬかを「糠袋(ぬかぶくろ)」にいれて洗顔していました。化粧水は花の露やへちま水などを自作して使用していましたが、江戸時代後期になると産業の発達により、市販品が登場します。

また、江戸時代のメイクでは次の3つの色が重要視されていました。

 

赤(紅色)

赤色の代表である紅(口紅)は華やかさを演出するとても重要なアイテム。

「おちょぼ口」と言って実際の口より小さく描くのが流行っていました。

 

ベースメイクは白色の白粉(おしろい)が基本。

粉の白粉を水に溶いて使う「水白粉」で、はけや指で顔だけでなく首筋や襟足、胸元までつけるのが一般的でした。

 

結婚すると歯を黒く染め(お歯黒)、子どもを産むと眉を削り落とすという習わしがありました。

鉄漿は、一目で未婚か既婚かがわかるメイク法の一つで、セクシーなものとも捉えられていたようです。

明治~大正時代

明治になり、欧米から洗顔やクリーム、ファンデーション、スティック状の口紅(棒口紅)が輸入されました。

それまでは白一色だった白粉が、欧米から輸入された「肉色」といわれる色付きの白粉が登場し、今のファンデーションの原型になりました。

しかし、当時そういった化粧品はとても高価で、一部の上流階級の女性だけに使用されていました。

明治時代後半になると、国内メーカーのクリームが販売され始めます。

この頃、東京に日本初のエステティックサロンが登場しました。

質、価格ともに良い国産洗顔石鹸が作られ、一般的に使われるようになったのは大正時代です。

国産第一号の棒口紅も発売されました。

次回は、昭和以降のメイクにどのような変化があったのかお話していきたいと思っています。

この記事を書いた人

平松(さくらコンシェルジュ)

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